電車通勤物語

電車に乗るのは年に数回、それも日中のすいている時間帯だけ。ずっと長い間、そうだった。30年ほど前には、電車通勤をしたことがある。そのときは初台から新宿までの一駅だけで、天気の良い日には電車に乗らず歩いたので、満員電車に詰め込まれた経験はあまりない。
そんな私が4月1日から平日はほとんど毎日、電車に乗って大井町まで通っている。朝は7時20分に家を出る。夫に駅まで送ってもらい、通勤3年目に入ったJと一緒に電車に乗る。彼女は藤沢駅につくと行列の後ろに並び、3本ほど電車を見送る。「座って行きたいから」と、藤沢始発の電車に乗るのである。私はだまってJの後ろをついて行くだけで、品川まで座って行くことができる。Jのおかげである。一人だとこうはいかないだろう。この並び方がなんとも言えず整然としていて、まことにプロフェッショナルだと感心する。比較的すいているからだろう、ホームの下り線側に行列はある。向かい合ったふたりの人の後ろに行列は伸びていく、ホームに並行して何箇所もできていく。そこに並んで待つことしばし。一本前の電車が発車したあと、その行列は向かい合った一列づつが合流して2列になりながら、登りホームの乗車口へと移動する。この移動が結構距離があるにもかかわらず、実に整然としている。行列を横切る人たちに遮られながらも、きちんと所定の場所にたどり着く。私はこの一連の出来事に、毎日感動しているのである。

行きは良いのだが、帰りはJと時間が違うので一人で電車に乗らなくてはならない。水先案内人なしで電車に乗るのは、結構大変なことである。電車通勤を始めてたった2週間だが、この間の電車にまつわる私の失敗はそれだけで週刊誌の特集記事が一本書けるのではないかと思われるほどある。電車の中でうっかり寝過ごしてしまったことが2回。それも藤沢のひとつ手前の大船まではしっかり起きていて、「次が藤沢..」と確認している。ところが次に停まった駅で降りようと辺りを見ると、なんだか様子が違う。見たことがないわけではないが、なんとなくしっくり来ない。それもそのはずである、いつのまにか藤沢を通り過ぎて辻堂に来ている。どうして大船まで起きていて、肝心の藤沢だけ寝てしまうのかわからない。それで電車の中で寝ないように本を読むことにした。

でも、これもいけない。仕事の後皆で「ちょっと一杯」と焼肉を食べた金曜日、9時過ぎに電車に乗りいつものように川崎で降り、東海道線に乗り換えようとした。読んでいた本は一瞬でも目を離したくないほどおもしろい。とりあえず行列の後ろに並び、電車までの間合いを目で測ったあと再び本に集中していた。電車の入ってくる音、多くの人が降りる気配に続いて行列が前に動きはじめた。私はそれでも本から目を離さないで、そのまま少しづつ前に進んだ。電車までの距離はさっき目測しておいたから大丈夫。...と何歩か進むと、前の人の背中にぶつかって先へ進めなくなってしまった。どうしたのかと目を上げると電車のドアから約1メートル離れたところで、行列が行き詰まっている。皆形相を変えて、必死に乗り込もうとしている。私はすっかり勢いをそがれてしまって、列から離れた。とうとう数人をホームに取り残したまま電車は発車していった。後に残った人たちは照れくさそうににやりと笑い、あらためて列を作りなおす。私の隣に並んだビジネスマン風の男性が「..............」なにかつぶやいている。「ン?」もの問いたげな私に彼は、「乗っていたんですよお、あの電車に....ちょっと降りてやったら乗れなくなったんです....」納得の行かない顔でつぶやく。本に夢中になっていて乗り損ねた私など、まだましなほうらしい。

さて、失敗というか、苦い経験はこれだけではない。藤沢駅小田急線に乗りかえるのだが、私はここでも大失敗をしている。少し早めに家路に着いた日のこと。この分ではうまくすると明るいうちに家に着けると期待し、乗り換えのために階段を上る足取りも軽くなる。この日も通路がすいているのを良いことに、本から目を離さず階段を降り、「急行」と「各停」を確認するだけでホームに停まっている電車に乗りこんだ。いくつめかの駅で「そろそろかな」と目をやあげると、これまた見かけない景色が窓のそとに広がっている。藤沢駅でホームに降りる階段を間違えて、反対方向の電車に乗ってしまったらしい。
急いで降りて、折り良く入ってきた反対方向への電車で引き返した。湘南台の駅に着いた時には、すでに日が沈み冷たい風が吹いていた。

こんな毎日だが、電車通勤は楽しい。電車に間違いなく乗れるようになるまで、しばらくの間本を読まないことにする。とりあえず電車の中で「人間ウオッチング」でもして、エッセイのねたでも拾うことにしよう。