Kidnapping

昨年の8月、私はYとチャットでお喋りをしたいと思い、Microsoft NetMeetingをインストールした。
設定が終了したあと恐る恐るNetMeetingを起動してみた。接続してしばらくして、画面に待機状態の人の名前が表示される。2度目の接続の時、ディレクトリーの中にシアトル在住の日本人の名前が見つかった。
10月に渡米する際にシアトルに行きたいと思っていた私は、その時期の気候についての情報が欲しかった。冬に向かうことでもあり、北部にあるシアトルは、かなり寒いのではないかと心配していたのである。
天候や服装のことでも聞いてみたいと繋いでみると、いきなり「Hello」と男の人の声が聞こえた。私は「あれ?日本人じゃない」と一瞬ひるんだ。「ご免なさい、日本人だと思ったものだから」と切ろうとしたら、先方は「ダイジョウブ、ニホンゴダイジョウブ」と言う。私は気を取り直して、会話を続けることにした。私のつたない英語に、同じ程度の彼の日本語を交えながら私たちのコミュニケーションは始まった。彼はアメリカ人だが、奥さんは日本人だという。
とりとめのないお喋りをしているうちに、彼が私の年齢を聞いてきた。本当の年齢を告げて良いものかどうか迷ったが、人柄の良さがにじみ出る彼との会話に惹かれて正直に「49」と答えた。彼はそれをきいて、しばらくの間笑い転げていた。彼のひっくり返って笑っている姿(会ったこともないのだ)が目に浮かぶような笑い声だった。ようやく落ち着いた彼に、今度は私が尋ねる番だった。すると思いがけず「58」という答えが返ってきた。今度は私が、彼に負けないほど笑う番だった。
それまではいくらかあった警戒感も、心の底から笑いあったあとはすっかり消え、急速に親しみがわいてきた。彼はお喋りの合間に写真を送信してきて、2年前の来日時に日光で撮ったものだと説明してくれた。いくら親近感を覚えたといっても、初対面の、顔も見えない、英語もおぼつかない私にいきなり写真を送って良いものなのだろうか。人事ながら心配になる。私にも写真はあるかとたずねるが、私は初心者なので送り方がわからない。いずれ他の方法で送ることにした。翌朝早速届いたメールに返事を書き、私と夫の写真を添付した。
その後私たちはチャット、ネットミーティング、ファックス、電話とさまざまな方法で何度かコミュニケーションをとった。シアトルの気候は東京と同じくらいで、冬でも厚手のコートは要らないという。良いところだからぜひいらっしゃいという彼らの勧めで、20日間のアメリカ旅行の最後はシアトルに2泊することに決めた。
11月6日、シアトルのホテルにチェックインすると、すでにS氏の「到着したら電話を下さい」とのメッセージが入っていた。S夫妻は、電話をするとすぐにホテルに迎えに来て、シアトルの町を案内してくださった。夕食には日本に負けないシャリとネタのすし屋【I Love Sushi】に案内していただき、食後はお二人のお宅にお邪魔した。そこで私たちは夜景を見ながらコーヒーをいただき、明日の予定を話し合った。ゆっくりくつろいで明日の約束をし、S家を辞した時はすでに10時近くになっていた。ホテルに送っていただく車の中で、部屋で待つYに遅くなったことを詫びるために電話した。電話が通じるなり飛び込んできたのは「ママっ、どうしたのっ、だいじょうぶ?」という切羽詰ったYの声だった。S氏の自動車電話ハンズフリーで話せるようになっていて、Yの声は車の中に大きく響いた。4人で大笑いしてしまったが、私はこのYの言葉の持つ本当の意味を知っていた。 翌日私と夫はS夫妻に、ギグハーバーという入り江の町を案内していただいた。帰りのフェリーを待つ間に夫が用足しに行ったきり帰ってこない。心配したS氏が「Kidnapping」にでも合ったのではないかと冗談を言う。Kidnappingという言葉が彼の口から出たのをきっかけに、私は彼らに「実は昨日のYの電話は...」と説明を始めた。
Yは、私たちがチャットで知り合ったというだけの人に、旅先で会うことに賛成でなかった。S氏の車に乗って出かけた私と夫のことを心底心配していた彼女は、私からの連絡が遅いので気をもんでいた。「どうしているのだろう」「なにかあったのだろうか」最悪の場合「誘拐」ということも考えられる。時間が経つにつれて思いはエスカレートして行く。とうとう「身代金はいくら請求されるのだろうか。どうやって払えば良いのだろう」と考え始めたところへ私からの電話である。思わず「ダイジョウブ?」となってしまった。もちろん会う前に不安を感じていたのはYだけではない。夫も少なからぬ不安を感じてはいたのである。私も一般論として、そういう不安が考えられるとことは十分承知していた。恐らく誰かがそういうことをすると聞いたら、そんな危ないことはやめたほうが良いのではないかと言うかもしれない。でもS夫妻と、さまざまな方法でコミュニケーションをとった私の感想は「彼らはとても人が良く、無邪気で、底抜けに明るい」ということだった。
Yの「大きな勘違い」のことの次第をS夫妻に話した。彼らは「良いことをきいた、それでは身代金を要求してみよう」と言い、あらためてみんなで大笑いした。そんな話しをして気分を悪くされるかと心配したが、彼らも周囲の人から同じような心配をされているらしい。こういうかたちで知り合った人を不用意に家に招き、なにかあったらどうするのかと言われるという。お互い笑ってこういう話しをできること、いい人と知り合えた幸せをあらためて喜び合った。人を見る目があるとは言えない私かもしれないが、今回のことに関しては自分の「勘」に絶対的な自信があった。
いずれにしても私たちは自分たちの「勘」を信じ、お互いを信頼して会うことができた。むろんこれは恵まれた出会いというべきで、全ての場合がこううまく行くとは限らないだろう。ネットワーク上で知り合った人と現実世界で出会うには、長年鍛えた「勘」に頼ることに加えて、ある程度の冒険を犯す覚悟も必要だろう。これから先何度こういう機会があるかはわからないが、楽しい出会いがあることを祈ろう。