なつかしい…

brotherのブログを見つけた。
ブラザーの歴史http://d.hatena.ne.jp/brotherblog/20050603というエントリのなかで、昭和の20年代に発売された編み機や洗濯機の写真が載っている。その編み機の写真を見て、ものすごく懐かしさを感じた。
昭和20年代の、編み機が発売されて地方に行き渡った頃のことは妙に記憶に残っている。小学校に上がる前のことなので、不正確な部分もあるかもしれないが……
当時、我が家は群馬県の北部に住んでいて、父の戦友がM市やN市で手広くミシン屋を営んでいた。当時は交通も発達していなかったので、ミシンや編み機の販売店を構えていても来店できる人は限られていた。そこで、販売店は地方の町や村に出向いて、デモンストレーションをしながら製品を販売していた。当時のこととて、ホテルや旅館に泊まれる余裕もなく、知人の家などを拠点にして数日単位で活動していたようだ。我が家でも一度ならず宿を提供し、何人かの販売スタッフが泊まっていたことが記憶に残っている。
編み機は、文化的生活の象徴とでも言うように家庭に入り込んでいった。実際、近所の多くの家で編み機を使って家族のセーターを編んでいた。子供心に、それまでひと針ひとはり手作業で時間のかかっていたものが、ハンドルを左右に動かすだけでどんどんセーターの部品が出来上がっていく。ゴム編みの部分も、ちょっとした仕掛けのある針を使って簡単にできあがっていく。この針の仕組みは、子供心にもすばらしいものだと感じたものだ。まるで手品を見るようで、飽きることなく眺めていた。いつか自分も大人になったら、こうしてセーターを編むんだと思いながら……
それから数年、時代が進んで宣伝カーが町を走るようになってきた。宣伝カーをとても都会的に感じたというのは、今から考えると面白い。今は、そんなうるさいものが公道を走ることは許可されていないんだから… そうして、それからン十年、私は今でも叔父さんが乗っている宣伝カーから聞こえてきたコマーシャルソングを覚えている。これは、私の記憶の中で、一番古いコマーシャルソングだ。ちなみにその次に古いのは「あっかるーーいナッショナーール」だ。
最終的に我が家には足踏みミシン、編み機、手回しの絞り機がついた洗濯機、冷蔵庫(たぶん…あ、でもこれは違うかな…)などのブラザー製品があった。一番最後のブラザー製品は、学生時代に買ってもらったタイプライターだ。今ではどれも世代交代したが、足踏みミシンだけは現役で頑張っている。
いつの間にか、編み機をつかっている家庭はなくなった。今ではbrotherといえばプリンタなどの情報機器が主体のようで、時代の流れを感じる。