帰国の途に

ソルトレークシティの空港で、片言の日本語を話す日系ブラジル人から母親をサンフランシスコで名古屋行きの便に乗せてほしいと託された。父親は日本人だが、その母親はイタリア人だという。
息子に送られて、母親は私とともに荷物検査の列に並んだ。どういう理由かはわからないが彼女の検査はことのほか厳しく、結っている髪を解いてチェックゲートを何度も通らされている。かばんも開けられ、丁寧に中を調べられている。もしかしたらやばいことを引き受けてしまったかと、気楽に引き受けたことをちょっぴり後悔した。それでも、彼女は犯罪を犯すような人間には見えない。しばらく待っているとようやく検査が終了し、搭乗ゲートに向かうことができた。
機内は空席が目立ち、彼女は私の隣の席に移動した。
同年代で、子供たちが海外に住むということから、共通する話題はあるだろうと、話しかけてみた。
彼女は4人(か5人)の子供がアメリカ、日本、オランダに住むという。そこを2,3ヶ月ごとに移動しながら暮らしているらしい。娘二人が住む日本には、もう3回来たという。話せる言葉はイタリア語とポルトガル語ということだが、なんとか一人で空のたびをしている。パスポートを確認し、2004年にアメリカに来たという。日付を見ると、私の渡米時期と重なる部分がある。
そんなこんなで、言葉は通じなくても地図、カレンダー、パスポート、孫の写真などを駆使してなんとか意志の疎通を図ることができ、楽しい空のたびとなった。