やぶそば

やぶそば

旅の楽しみの一つに、おいしい蕎麦屋を探すことがある。
夏休みの初日の水上温泉でも、新しい蕎麦屋を探した。ガイドブックに『さる高名な料理研究家が3本の指に入ると評した蕎麦屋』を探して行ってみた。かなり期待して行ったのだが、これまでに経験したこともないほどひどい目にあって、4日経っても怒りがおさまらない。テレビや雑誌に取り上げられた店には行かないという人がいるが、今回ばかりはまったくその通りだと思った。

その店に着いたのは比較的早い時間だったが、すでに満席。狭い路地の、店の向い側に用意されているベンチで待っていると、少しずつ人が集まり行列が伸びていく。何組か先客が帰ったので、店の中に入って待った。

おかみさんは外で待つ客からも注文を取り、私たちの注文した山菜せいろ二つとまとめて調理場に伝えている。混乱していてしっかり伝わらないようで、なんどか数の確認をしている。そうこうしているうちに、奥の座敷の客がまとまって帰ったので、いよいよ私たちの番だと、腰を上げようとすると…
伝票を書いたり、お茶を用意したりするカウンターの上の物を奥のほうに運んでいたおかみさんが、「ここに×××しますから召し上げがってください」という。

「?????」何を言っているのか意味がつかめなかったが、客が帰ったばかりの座敷に外で待つ客を案内するのを見て、ようやく状況を把握することができた。
つまり、私たちには、この奥行き30センチに満たない、作業用のカウンターでそばを食べろというのだ。カウンターの上は一応片付いてはいるが、下にはお盆や石臼の部品が置いてある。私は、カウンターの端からおへそまで30センチも開いた状態で食事をすることになる。それはないでしょうと、文句を言おうとする私を夫が制す。

ま、それでも、おいしいそばを食べることができるならよしとしようかと、これも話のタネだとあきらめてそばができるのを待った。
運ばれてきた山菜の天ぷらは、わけのわからないもじゃもじゃとしたもので、ガイドブックの写真とは似ても似つかない。おまけにその横には、衣のとれかけた(はじめからしっかりついてない?)姫竹が一本。「山菜って、この時期何があるんだろう」という夫に、私は「そこはプロなんだから、なにかあるんでしょう」と諭して頼んだ山菜せいろだ…
恐る恐る姫竹を食べて、大げさでなく腰が抜けるようだった。鍋いっぱいに材料を放り込んで油の温度が上がりきらないまま揚げたようで、衣がはげ落ちているだけでなく、火もしっかり通ってない。いまどきは家庭の主婦だってこんな天ぷらは作らない。
そばをつまんでみたが、これがまたしまりがなく、ぶつぶつ切れていて、ひどい代物だった。
もうほとんど食べる気にはならなかったが、もじゃもじゃのてんぷらもどきもちょっとだけつまんでみた。どうやら、塩漬け蕨と、干しぜんまいを水に戻したものをまとめて揚げたようだった。確かに蕨もぜんまいも、旬のものは天ぷらにすることもあるが、これは頂けない。この時期山菜と言えばこんな物しかないよなと思うが、それにしても、このぜんまいの細さ。近くの山で採ったというより、はるばる海を越えて中国からやってきたもののようだった。
おかみさんは、申し訳ありませんと何度も言い、自家製ですと梅干を出してくれたり、無農薬で育てたものですとトマトを出してくれたりした。こういうことをされればされるほど、私の怒りは増してくる。私はそばを食べに来たのです!

自分のペースでそばを茹で、天ぷらを揚げることができたら、いいものができる店なのかもしれない。客に追われたからこんな仕事しかできなかったのかもしれない。だったら、客は待たせておけばいい。山菜のシーズンでなかったら、山菜せいろはできませんと言えばいい。納得のいくものが出せなかったら、店を閉めればいい。客が何を求めてここにきているのか、よく考えてほしい。待たされることと、まずいそばや天ぷらを食べさせられること、どちらが腹が立つことか、真剣に考えてほしい。
今これを書くにあたって、念のため口コミサイトを探してみた。
おいしかったという記述はひとつしか見つけられなかった。さすがにカウンターで食べされられたという記述はなかったが、天ぷらやそばがまずいという評価は多く見つかった。

この店を3本の指にはいると称した大先生。あなたはこの店の現状をご存知ですか?