さっとが初めて修士論文のテーマについて話してくれた。難しいことは「ママには、話してもわからないよ」と言い、私にわかりそうな部分だけをかいつまんで話してくれたものである。
たとえばゲーム、昔やったゲームなどは時を経て再びやろうとするときにも、かなりの部分(隠れキャラクタの場所など)を細部にわたって思い出すことができる。ところが、授業で習い、暗記したはずの年代などは、(語呂合わせで覚えたもの以外は)すっかり忘れて、思い出すことができない。「これはなぜなのか」ということが出発点のようである。
私たちは「一般的に考えられるのは、興味を持ち繰り返し行ったことによって刷り込まれたものと、試験などのために必要に迫られて覚えたものとの違いだろう」のように簡単に結論を出し、ここで考えることを終わりにしてしまう。ところがそれを分析し、説明することができるらしい。「認知心理学」という分野があることも初めて知った。
思えば私の勉強というものは常に「簡単に結論を出す」だけで、「なぜ、なぜ」と深く掘り下げて考えることはなかった。このあたりがさっと(に限らないが)と私の大きな違い、つまり本当の勉強をするかしないかということだろう。
勉強するということは、興味を覚えたこと、疑問を持った事柄について徹底的に追及することのようである。