12月22日(月曜日)
先週の月曜日(定休日)は、忘年会の予約があり仕事をする羽目になってしまった。2週間ぶりの休日なので、「今週こそは」と、タンシチューのホームページを作ろうと張り切っていた。昼食後、冷凍しておいた肉の解凍を始めたところへ、これまた「今週こそは」と昨日から温泉に泊りがけで出かけていた夫が戻ってきた。彼は、まだ遊び足りないのか、いきなり「映画を見に行こう」と言う。3時40分から始まる「SEVERN YEARS IN TYBET」を見に行くことになった。
これは今一つ、何を言いたいのかわからない「非常にもったいない映画」だった。チベットの自然の美しさと、厳しさは十分に表現されている。また、チベットの人々の生活が敬謙な宗教心の上に成り立っていることもよく分かった。しかし、肝心なブラッドピット演ずるハーラーと、ダライラマの心の交流が描き切れていないような気がする。ダライラマとの交流を通じて、自分の捨ててきた家族への思いが膨らんでいくのを現すだけでは、これだけの設定はもったいない。
映画が終わったのは6時半。「夕飯どうしようか」「何か食べていこう」「いや、帰って味噌汁を作ろう」そう言う夫の提案に、私はいっしょに支度をしてくれるものとかってに期待していた。案に相違して、彼は家に帰るなり「疲れたからしばらく寝る」と寝室にいってしまった。夕食のしたくができて起こしても起きない。仕方なく一人さみしく夕食をとる。
「こういうちょっとしたことから、お互いの心は離れていくのだ」とぼやく私に、猪原は「それっぽっちで離れるようなら、世間の夫婦はとっくに別れているでしょ」と相手にもしてくれない。そうか。