耐乏生活

8日の夜から、自宅の洗面所のカランが壊れている。水が直径1センチほどの太さで流れたままになり、お湯は出ない。修理依頼の連絡をしたが、12日まで来てもらえない。仕方なく台所の流しで歯を磨き、顔を洗っている。平成10年を迎えたばかりというのに、我が家は一挙に30年ほど昔に逆戻りをした感がある。思わぬ事で、若かった頃を懐かしく思い出している。
昭和40年代までは、ほとんどのアパートに洗面所や風呂がついておらず、洗面は台所の流しで行うのが一般的だった。洗濯場が別に用意されているアパートもあったが、そうでない場合には、畳半分ほどの小さな台所の、幅60センチに満たない流しでシーツまで洗わなくてはならなかった。まさに「神田川」の世界そのものだった。現代の生活しか知らない人たちには、貧しさだけが映るかもしれないが、当時はそれがごく普通の生活であった。
少ない仕送りでやりくりしていた学生時代、月も半ばを過ぎると金がなくなり、食べるものといえば実家から送られてくる米だけなどという事がよくあった。友人たちが揃いもそろってそんな状態の時には、ふりかけだけ買っておにぎりをたくさん作り、みんなで分け合って食べたものだった。

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Tさんがほぼ1年ぶりに301に入る。彼はかつて2時間ということで301に入ったが、1時間ほどで出てきてさっさと帰ってしまった。混み合っている日だったので、そのときは呆気に取られて見送るだけだったが、後で理由を聞くと「あれじゃ家で歌うのと変りない」とひとこと。どういうことなのかわからなかったが、それ以上「なぜ」と追求する事ができない何かが彼にはある。それ以降、ずっと他の部屋を使っていた。今日はとりあえず、他の部屋が空くまでの1時間という事で我慢してもらう。「バーンへーレンあるかな?」呟きながら部屋に入っていった。(「思いっきりロック、俺聞き違ったかと思った....」とはマサグチの弁)30分後フロントまで来て「今のままでいいや」とひとこと。彼には「.....とひとこと」という表現がぴったりである。