初台

ずっと以前、かなり若い頃、私は1年半ほど初台に住んでいた。新宿南口にある会社に通うのに京王線で一駅という便の良さ、その割には家賃の安いアパートを見つける事ができたからである。

先日来何度か山手通りを通る機会があり、その変わりように驚き、一度はこの辺りを歩いてみたいと思っていた。チャンスは思いのほか早くやってきた。私は昨夜Yの部屋に泊まった。先週末から日本で暮らしているYは、参宮橋から10数分のところに住んでいると言っていた。参宮橋の駅から歩き始めると彼女が「あれが..」と指差したのはオペラシティだった。Yの部屋についてみると、そこはもうほとんど山手通りに面しているといっていい。しかも甲州街道との交差点にもすぐ近く。一夜明け、教会に行くというYとマンションの前で別れ、私はまっすぐに初台駅へと向かった。

初台駅を出て左へ歩く、すぐに甲州街道へ出るのでそこをまた左へ....。辺りを見まわすがどちらを見ても思いでのかけらも落ちていない。歩道橋を渡り、代々木警察の前へ出る。なんだか建物の形が当時とは違うような気がする。それでもかなり年を経ているような建物なので、気のせいかなとも思いながら先へ進む。二つ目の路地を右へ入った辺りにも当時の面影はほとんどない。ゆっくりと奥へ進み、「たしかこのくらい歩いた辺り...」と右側を向く。「あっ」そこにはまさに私の見覚えのある階段が、そのままの姿で建っている。後ろにそびえるオペラシティさえなければ、ほぼ30年前にタイムスリップしたかのようだ。記憶の中のおぼろげだった映像が一気に鮮明になり、色を放つ。

思わず駆け寄ると、表札には紛れもない当時の大家さんの名前が書いてある。私の借りていた部屋は2階にある4畳半。トイレは共同、風呂は近くの銭湯で家賃7000円だった。私の住んでいた部屋を含めて3部屋あった2階の部分は、今は息子さん(といっても私より年上)が事務所にでも使っているのだろう、会社の看板が出ている。立ち止まって眺めていると、父が初めてここに来てくれた時のことを思い出す。

ここの住所は「渋谷区本町1丁目」。この名前がいけなかった。渋谷区本町1丁目、田舎から出てきた父は、その住所を頼りに迷わず山手線の渋谷駅で電車を降りた。その地番から察して、渋谷駅からそう遠くないだろうとたかをくくったのである。米や野菜を持てるだけ、両手にいっぱいの荷物を持った父はタクシーに乗った。渋谷駅から初台までは直線距離にしても4キロはある。見知らぬ道を走るタクシーの中で、カシャッ、カシャッと上がっていくメーターが気になったことだろう。おまけにようやくついたアパートには私がいない。大家さんに事情を話し、部屋に入れてくれるよう頼んだが入れてもらえなかった。父は仕方なく近くの食堂で時間をつぶし、さらに予想外の出費を重ねるはめになった。どちらも誰のせいでもない、ごく当然な成り行きなのだが何か釈然としないものがある。都会の理不尽さを感じた出来事だった。部屋に遊びに来てくれた友の顔も浮かんでくる。もう何年あっていないのだろう、元気だろうか....。

しばらくして初台の駅へ引き返そうと歩き出す。来たときよりは記憶が戻っている分、当時と今との違いが見えてくる。代々木警察も当時の建物ではないと、はっきり断言できるまでになってきた。入り口に立っている若い警官にこの建物は何年に建ったのか訪ねるが、最近転勤してきたばかりでわからないと言う。職務上道を聞かれてわからないのなら、中に入って調べるなり誰かに聞くなりして教えてくれると思う。しかし建物の建築年など職務外の事と思うのだろう、おかしな事を訪ねる通行人に彼は困惑した顔をするばかりである。自転車の整理をしている私と同年代の警官が目に入ったので、念のため尋ねてみる。「ここですか...何時かな...、あっ」と彼が指差した先を見ると、建物の壁に「定礎 昭和47年7月」と刻まれたプレートが埋めこまれている。やはり私の記憶は確かだった。私がここにいたのは昭和45年までだから、それ以降に建てかえられたものだった。永山則夫が逮捕されたのはこの警察署で、その日は多くの報道陣でごった返していたことなどちょっとだけ昔話をして、警官と別れる。

更に駅に向かって歩くと、カシオ計算機の大きなビルがある。この辺りは小さな店がいくつか入った、市場のようなものがあった場所ではないだろうか。その中の食料品店で買った納豆を炊き立てのご飯にのせて食べようとしたら、アンモニアくさくて食べられなかった。それ以来私は都会の納豆はくさいものと思いこみ、数年は怖くて納豆を食べる気になれなかった。そんな事も思い出しながらオペラシティまで戻ってくる。一体これだけの敷地をどうやって確保したのだろう。以前はなにがあったところなのだろう。もうここまで来ると、どう記憶をたどっても思い出せない。この間横浜の「みなとみらい21」に行ったときと同様「日本にもこんなところがあるんだ」と、ただただ圧倒されるばかりである。

私は今、オペラシティB1のカフェテリアでコーヒーを飲みながらこれを書いている....。