杏子の入院と出産

lunch_lunch2000-11-13

とうとう杏子が入院した。
午後1時から予約してあった検診に行ったのだが、その場で予定日より1週間遅れているので入院して陣痛誘発剤を使おうということになった。4時頃から点滴をはじめ、私と陽子が病院についた5時過ぎには3分おきくらいに軽い陣痛がきていた。回診の医師の話では初産のことでもあり、生まれるのは明日の朝くらいでしょうということだった。

病院は新しくできたばかりということで、すばらしくきれいな建物だ。窓は大きく、明るく開放的で、ロビーや廊下などもゆったりしたスペースで、まるでホテルのようだ。病室も広くゆったりしている。歩いて測ったところによると、約20畳はある部屋だった。オットマンのついたロッキングチェアや、きれいな模様のカーテン、壁紙。バスとトイレもついて、本当にホテルのようにきれいだった。オスカーが今夜はこの椅子で寝るのだと、喜んでいた。

私は陽子と二人で必要なものを持っていったのだが、大勢でいてもうるさいだけだ。時折襲ってくる痛みに顔をゆがめる杏子をオスカーに頼んで、私と陽子はとりあえず帰宅した。

…とここまで書いたところで、なんと赤ちゃんがもう生まれたと言う電話が入った。明日に備えて早寝しようと思ったところだった。

とるものもとりあえず病院に駆けつけた。医師や看護婦も驚くほどの安産だったようで、杏子の顔に余り疲れは見えない。子供は男の子で体重は3090グラムほど、まあ、並みよりちょっと大きい程度だろう。私が子供たちを生んだ頃には、生まれる前に性別を教えてはもらえなかったが杏子たちの場合はあらかじめ男の子だと知らされていた。だから生まれる前から名前がついているし、ベビー用品も男の子用のものを準備してあった。生ま、れたときにすでについていた名前はLucas日本名はルカという。

ルカは診察のため別室に連れて行かれ、その間に杏子は体をきれいにしてもらって病室を移動した。そう、私が感動したあの部屋は分娩室だったのだ。私の経験した病院の分娩室はいかにも手術室といったふうの、白と少し緑色があるだけの寒々とした無機質な空間だった。今は日本の病院もこんな風に、普通の部屋のようになっているのだろうか。それともあの頃のままなのだろうか。

移動先の病室は分娩室よりは狭いが、それでもロッキングチェアとソファーが置いてある。トイレとシャワールームも完備していて、快適な空間になっている。杏子がのどが渇いたと言うと、看護婦はオレンジジュース、コーラ、スプライトetc何がいいかたずねて、希望の飲み物を持ってきてくれる。私は陽子を出産するときに、分娩台で身動きできないときに看護婦に水がほしいと頼んだら、生ぬるい水を持ってきてくれて「今ほかの人の出産で私たちは忙しいんだから、そんなことで呼ばないでください」といわれたことを思い出した。

しばらくしてルカが帰ってきて、杏子が母乳を飲ませ始めた。ルカは疲れているようで一口、二口動かしては眠っている。看護婦が足をさすって目を覚まさせようとするが、それでもほんのいっとき口を動かしては寝ている。そんなルカを見ているあきないが、いつまでもいると杏子が休めないだろうと、心残りの思いで病室を後にした。家についたのは12時を回っていた。こんな時間でも家族の面会が許されているようで、特にとがめられなかったしほかにも花を持って歩いている若い男性などに出会った。なんと解放的な病院だろう。ただその分病院側も神経を使っているようで、このタグを下げている者(つまり病院の職員)以外には子供を渡さないようにと注意された。