命を見つめて

肺がんで入院しているおじさんに手紙を書いた。
おじさんといっても血のつながりはなく、父が戦時中にお世話なった方のお兄さんである。おじさんには子供がいないので、私と妹をとてもかわいがってくれた。

子供の頃複数の家族でおじさんの車に乗りあって、ドライブを楽しんだ。春にはつつじ、秋にはもみじを見に連れて行ってもらった。その頃は仕事用とはいえ車を持っている人は少なく、今に比べたら道路交通法も緩やかだった。今にして思えば車は1トンにも満たない小さなトラックだった。その荷台にベンチを作り、みんなででこぼこ道を揺られたものだった。手紙にはその頃の懐かしい思い出と、お礼を書いた。

おじさんが入院していると聞いたのは昨年の秋のことだった。しばらくしてから妹と群馬県の病院へ見舞った。病室に入っておじさんの顔を見たとたんあふれそうになる涙をこらえ、ご無沙汰をわびた。おじさんは嬉しそうな顔で迎えてくれ、冷蔵庫に入っているみかんやぶどうをしきりに勧めてくれた。足がすっかり弱って歩くのは大変だというが、言葉は力強く時折明るく笑ってもいた。

一人暮らしのおじさんは付き添ってくれている自分の妹に指示して、家にある貯金通帳やさまざまな書類を整理しようとしていた。ガンに蝕まれた体は、この先そう長くは持たないだろうと覚悟をしているようであった。

肝臓ガンの手術をした後の父の驚異的な快復にも驚かされたが、おじさんの潔いほどの覚悟にも同じ強さを見る思いがした。これは戦争体験者に共通するものなのだろうか。いつか私たちもこういう運命に出合うときがくる。そんな時、私も父やおじさんのように自分の運命を笑って受け入れ、明るく強く生きたいと思う。