野辺の送り

伯父の告別式は、斎場でいわゆる今風に行われた。でも、その後の埋葬は、野辺の送りの葬列を組んで墓所まで行った。
いとこの話ではこういう葬儀も、これまでだろうということだった。もう2度と見られなくなくかもしれない、この様子を記録に残しておきたいと思った。
 
 
 
 
 





先月に続いて、伯父の告別式参列のため群馬県に行ってきました。少し標高の高いところでは、まだゆきやなぎ、すいせん、カイドウ、桜と春真っ盛りでした。

早目に到着しようと、たっぷり時間をとって家を出たつもりでしたが、あいにく5(ご)10(とう)日で、2時間半くらいでつくところに5時間もかかってしまいました。式場に近くなったとき、携帯電話が鳴りいとこの娘、寿美子(ここでは姪と位置付けましょう)がどのあたりまできたのか尋ねてくれました。あと5分ほどでつくと答えて、番地と地図を頼りに式場へ向かいました。

どうも、このあたりはまだ地番の整理が行われていないようで、区画は、番号順に並んでいるものでもなさそうでした。しばらく探してもそれらしい建物は見つかりませんでした。先ほどの携帯電話に連絡して、寿美子に道案内を請いました。彼女は自分では分からないので、近くにいるものに電話を代わってくれたのですが、彼にもよくわかりません。通りすがりの人にでも尋ねるからと、礼を言って電話を切りました。しばらく走った後、小さい商店の店先にいた人に、丁寧に教えていただきました。

式場に着くと、入り口の外で寿美子たちが心配そうに待っていてくれ、中に招き入れてくれました。この時私はほんのちょっぴり、なんとなく違和感を感じました。今まで経験したことのない扱いを受けているような気がしたのです。とりあえず親族の席に座り、式の進行に合わせて合唱したり、礼をしたりいていくうちにハタと思い当たりました。

寿美子の私に対する態度は、その昔、私がこういった場で、折に触れ年長者にとった態度そのものだったのです。つまりこれは、遠路たずねてきてくれた年長者に対して、感謝すると同時にいたわる気持ちいっぱいに接する態度だったのです。

そう、それはそれはショックでした。寿美子たちとは、そう年も離れていない(たった15です??)ので、ついこの間までは姪というよりいとこくらいの気持ちでいたのです。それがこのときからいきなり、しっかりと伯母と姪の関係になってしまったのです。いつのまにか私は、いたわられる年齢(立場)になっていたのです。

もしかすると折に触れ私が伯父や伯母をいたわったことは、気がつかずにあの方たちを傷つけていたのかもしれません。そのときは結構「良く気がつくやさしい嫁」を演じたいがために、いっそうやさしく振舞っていたかもしれません。どうしましょう。いまさら取り返しはつかないし・・・。これからでも遅くはない、失礼のない程度に同年代の方に接するように振舞ってみるのもいいかもしれません。

と、思う反面、ああやって人にいたわられるのもまんざら悪いものではないような気もするのです。思い切り増長して、えらそうに振舞うのも楽しいかもしれません・・・、なんて、なんとも勝手なものです。


伯父の告別式は、斎場でいわゆる今風に行われました。でも、その後の埋葬は、野辺の送りの葬列を組んで墓所まで行きました。

いとこの話ではこういう葬儀も、これまでだろうということでした。2度と見られなくなくかもしれない、この様子を記録に残しておきたいと思いました。

野辺の送り